2010年6月6日日曜日

【日記】風邪をひきました&おまけのドイツ画像

 ブログ開設してからわずか2日で風邪をひいてダウンしてしまいました。3か月ぶりの風邪。3年ぶりくらいの発熱でした。思えば、今年に入って以来、就職活動に追われてろくに休んでいなかったので…体が限界の悲鳴をあげたのかな、と。それならば休めてよかったな、と。ポジティブに考えることとします。子供のころは風邪をひいて寝込むのが大好きでした。学校も休めるし、友達や先生、家族が心配してくれるから。中学・高校のころは、風邪をひいて寝込んでしまえたらどんなに楽か!と思っていました。何かと責任ある仕事を任されることが多かった私。「風邪」という不可抗力で何もできなくなってしまえば、どんなに楽しいだろうか、と、妄想していました。最近は。風邪というものに対して、そんなに特別な見方をしなくなったように思います。疲れている、体が悲鳴を上げている、だから風邪をひく、それならば休めばいい。そんな感じ。呼吸をするように、自然と。

 そんなわけで死んだように眠り続けました…まだ肺のあたりがゼイゼイするけど大分良くはなってきたかな。


 本来ならば昨日、水戸まで遠征して藩校「弘道館」を訪ねる予定でしたがそんなこんなでダウンしたのでまた今度に持ち越し。卒業論文のテーマが「江戸時代の藩校教育」なもんで、出来うる限りいろいろ行きたいなあと思いつつ…どこまでできるかなあ、と、不安にもなったり。うーんうーん。教授からは割と期待されているだけに、プレッシャーが大きい…。今月末はその研究の一環として、松江に行って参ります。

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【おまけ】
 先月末に開催されていたオクトーバーフェストにて。今年はあまり時間が取れなかったので、一人参加して一人でご飯を買いました。秘儀・お持ち帰り!ヘタリアの影響でドイツ大好きです。今年の夏にドイツに行く予定です。写真はドイツのキャラクターのネズミとドイツ料理。ああ、ドイツと呟くだけで割と幸せになれるこの単純な体と頭!

2010年6月4日金曜日

【日記】母校と先生と親友

 少し時間は前後しますが、6月の2日に、母校へ遊びに行きました。親友の課題制作のお手伝いという名目ではあったものの、私服で教室の中に入って、昔を思い出しながら話をして、お弁当を食べて・・・不思議な気分になりました。懐かしいのに、懐かしくないような。母校を卒業してからもう3年以上になるので、懐かしいというべきなんですけど、何故か、懐かしいとも思えないんです。「ああ、かえってきたなあ」という、安心感に包まれて。

 私立の学校なので、先生の姿もあまり変わっていなくて、勿論、親友もそのままで。だからなのかもしれません。私自身も、見た目は多少変わったかもしれないけど、中身は同じですから。

 お世話になった先生と一緒にご飯を食べて、アフターの交流もしつつ、濃厚な時間を過ごしました。また近いうちにお邪魔します。楽しみだなあ。

2010年6月3日木曜日

【歴史】6月3日、「侍と私」-ポートレイトが語る初期写真-

 今日は良い天気!こんな日に何もしないのは勿体無いということで、少し足を伸ばして恵比寿まで行ってきました。東京都写真美術館の特別展「侍と私」を見るためです。幕末から明治期にかけての日本人の肖像写真を、西欧との関わりを踏まえた上で紹介しているということで、わくわくしながら見に行きました。

 まず驚いたのが恵比寿駅東口からガーデンプレイスまでの空間のお洒落さ!!首都圏に住んではいるものの決して都会人ではない(そもそも県民な時点でもう)私にとっては異次元レベルです。ガーデンプレイスの中にはビアガーデンもいくつか。平日の昼過ぎからビールで乾杯しているおじさまとかお姉さま方は一体何者でしょうか。何てセレブな・・・私もあと30年くらいしたら出来るでしょうか、あんなことが。そのためにはまず稼がなきゃいけませんね。・・・シビアな話。
 東京都美術館はガーデンプレイスの中を突っ切った所にあります。今回の企画展のポスターが出ていたので、ぱしゃり。 このポスターになっている写真は、「第二回遣欧使節 甲冑姿の河津伊豆守立像」だったと思います。ヨーロッパで撮ったものだとか。甲冑姿がヨーロッパ人に気に入られたそうです。河津さん(・・・でよろしいのでしょうか?)も、少し照れくさいのかな?甲冑を「着ている」というよりは、甲冑に「着られている」感じがします。可愛いです。

 実は私はあまり写真が好きではありません。と、書くと、写真ブログを書いている身としてはすごーく矛盾したことを言っているようなんですが・・・。自分で撮るのは好きなんです。日常写真みたいなものは、見るのも撮るのも好きなんです。ただ、「芸術作品」や「歴史的価値のあるもの」等、展示対象としての写真は苦手です。ヌード写真だったり、人間の姿を加工したものだったり、戦争の被害者、災害の被災者を映したものだったり。写真にも色々ありますが、どれも苦手です。写真は、実在のモノ・ヒトを、その枠の中に閉じ込めてしまっているから。写真の中に「在る」モノは、「居る」ヒトは、きっと写真を撮られた後に、動いたりして、変わっていたことでしょう。でも、写真にはその「動き」が無い。一瞬の姿をそのまま捉えて、閉じ込めてしまっている。それが、何だか恐ろしくて仕方ないのです。
 ・・・抽象的過ぎて自分でも良くわからないのですが・・・とにかく私は写真を見るのが苦手です。だから正直、この展示を見に行くまでは、まるでお化け屋敷に行くかのように(笑)ドキドキしていました。ワクワク半分、ドキドキ半分、とでも言いましょうか。

 てなわけでこの企画展。実際のところはどうだったのかと言えば・・・すごく楽しめました。写真に対する苦手意識は変わりませんが、幕末の人々の素顔を垣間見ることができて、ちょっとしたタイムスリップ気分を味わうことができました。以下、特に興味深かったものをいくつか。

●小島柳蛙像
 大小の刀をぶら下げた凛々しい侍姿の男性。背筋はピシッと伸びていて、眼光も鋭く、「これぞジャパニーズサムライ!」と拍手喝采を送りたくなるような姿です。でもどうやら、この方の本業は侍ではないらしいのです。彼の傍らには、ゴム手袋が無造作に置いてありました。注釈によれば「科学者」とのこと。うーん、科学者でも、こんなに凛々しくて格好良い男性が居たとは・・・あなどれません、江戸時代。

●題不詳(ほおづえをつく侍)
 上記の写真とはまた随分と雰囲気の違う侍の姿が映されています。しゃがみ込み、ほおづえをついて、少し上目使いでどこかを見つつ考え事をしているかのような男性。その構図も面白いんですが、リラックスした侍の姿というのがどことなく珍しくて、ついつい見入ってしまいました。

●題不詳(キセルを持つ青年像)
 明治以降の写真ということで、凛々しい侍とは言い難い・・・戦国時代で言うところの「かぶきもの」のような姿の青年が映っています。キセル片手に、着物はだらしなくはだけさせて、姿勢も悪いです。かつての侍のような威厳はどこへやら。これも、一種の「文明開花」と考えれば、一興といったところでしょうか。

●題不詳(徳川慶喜像)
 出ました、慶喜公!慶喜公の写真は3枚ほどありましたが、着色されていた写真(全身写真だったと思います)が気に入りました。結構、派手な服を着られていたんですね。確か緑と黄色っぽかった気が・・・少し曖昧です。慶喜公らしくていいなあと思いました。彼の写真は晩年のものまでいくつも残っていますが、どれも、どことなく気だるそうなのが印象的ですよね。まあ、活き活きと出来ない時代に生まれたから、仕方ないか・・・。

●題不詳(榎本武揚像)
 来ました!釜さんです!!蝦夷共和国の人たちの誰かいないかなーと思っていただけに、嬉しかったです。展示されていた写真は明治5年頃に撮られたもので、海軍中将を務められていた時だとか。腕章のついた洋式の軍服姿が格好良かったです。裏には榎本さんの直筆のサインがあります♪(実際には、写真を送った相手へのご挨拶が書かれています)最近、資料館に赴くたびに榎本さん関係の展示物を目にしている気が・・・何だか運命的ですね。

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 おまけ。市立函館博物館で購入した「五稜郭・箱館戦争(史料集)」より、共和国メンバーの写真です。この写真が一気に見られる展示会とか無いかなあ、と思いつつ・・・。それでも今日のはかなり満足のいく企画展でした!!ありがとうございました^^*

2010年6月2日水曜日

【歴史】6月1日、蝦夷共和国Tシャツ購入

 私は箱館戦争で戦った旧幕府軍、すなわち蝦夷共和国が大好きです。元々は新選組ファンでした。中でも土方さんが好きでしたので、正直、蝦夷共和国はあんまり好きじゃなかったです。だって、土方さんは亡くなってしまっているのに、明治までのうのうと生きているなんてズルい・・・とそう考えていました。(司馬遼太郎さんの「燃えよ剣」の影響も大きかったように思います。司馬さんは蝦夷共和国をあんまり良く描いていない気がしました・・・ちょっと記憶が定かではないですが><)・・・ですが、秋山香乃さんの「歳三往きてまた」を読んで以来、すっかり考えが変わって、蝦夷共和国の大ファンに。最後まで戦ったラストサムライたちの姿が本当に格好良くて、大好きです。
 そんな私がネットサーフィンをしていたところ見つけたのが、蝦夷共和国Tシャツ!歴史グッズ専門店「歴史城」さんのページで発見しました、「クワガタデザイン」さんの「幕末グラフィックス」Tシャツです。これは買うしか無い!というわけで、即座に購入。2日後に届きましたので、ほくほくしながら開封しました。

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 袋の中にはこんな紙が!!おおおおお、蝦夷共和国メンバーのドット絵・・・!経歴の説明もあって、知識の再整理にも便利です。「the LAST SAMURAI」の文字も格好良い!可愛い上に格好良くて、しかも勉強になるとは・・・あなどれません。早速机に飾らせてもらいました。  Tシャツそのいちは、「蝦夷共和国ラストサムライ」Tシャツ。表面には史上最強の軍艦「開陽丸」がデザインされており、裏面には蝦夷共和国主要メンバーの顔が並んでいます。ドット絵が本当に細かくて、特徴を上手く掴んであるのがツボでした。大鳥さんの髭が「らしく」ていい感じ。永井さんとか、「あー、こんなかんじ!」と思わずうなずいてしまいたくなるくらいの再現度です。色はチャコールグレー。これなら外でも普通に着られそうです!


 こちらは「五稜郭メモリアルTシャツ」!表面は開陽丸、裏面は五稜郭をイメージしたロゴと、その周りに共和国メンバーの名前です。一見シンプルですが、ロゴがすごく凝っています!ホームページによれば、開陽丸に生み、さらにはタワーと函館山をも描いたとか・・・よくよく見てみると、確かに!うーん、このさりげなさが格好良すぎます。名前も、まるで寄せ書きのようで、見ていてドキドキしちゃいます。陸軍奉行と奉行並の組み合わせが好きな私にとっては、五稜郭のロゴを挟んで大鳥さんと土方さんが並んでいるというのだけで・・・もう、完全に、ノックアウト。家宝にします!

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 歴史城さん、クワガタデザインさん、ありがとうございました!

【史跡】5月29日、日野新選組巡り

 5月は連続で史跡巡りに赴きました。29日の土曜日には日野へ。あいにくの曇り空+5月末とは思えない程の寒さでしたが、心はほくほくなので特に問題も無く!土曜日だったので資料館系(土方歳三資料館、井上源三郎資料館etc)には行けませんでしたが、その分他のところをじっくりまったり見ることができたので大満足です★

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 新宿駅から京王線で「髙幡不動」駅へ、そこから多摩モノレールに乗って「万願寺」駅へ向かいました。土方さんのお墓があるという「石田寺」に向かうためです。写真はモノレールの車窓から見た多摩川。土方さんもここで遊んでいたりしたのかな・・・と、既に頭は妄想モード突入です^^*  車窓からは「土方歳三資料館」も見えました!この日はお休みでしたが、以前行った時にすごく混雑していたのを覚えています。そんな中、来場者ひとりひとりに丁寧にご挨拶されていた子孫の方々の物腰柔らかな雰囲気に感動しました。本当にありがとうございました。また行きたいです。 駅から少し歩いた住宅街の中に「石田寺」はあります。ずっと「いしだでら」だと思っていたんですが、「せきでんじ」と読むらしく・・・。以前来た時はちょうど日野新選組祭開催中ということもあり、ご供養のために集まった人で大量でしたのであまりゆっくり見られなかったので、リベンジです。普通のお寺なので、当然といえば当然なんですが、物静かかつ重厚な雰囲気です。 ここではお寺の外観だけ載せておきます。土方歳三のお墓、と言って、アイドルのイベント感覚で来られる方も多いみたいなんですが(勿論、私もそのひとりとなっているとは思います)、お墓はお墓。多くの人々が眠っていらっしゃる場所です。それなのに、マナーを守れずに大騒ぎする人も多いらしく、注意喚起の看板が建っていました。情けないというか、悲しいというか・・・。場所を弁えなければ駄目、ですよね。自戒の念も込めて。しっかりと手を合わせました。

 さてさて、またもや電車に乗って、今度は「髙幡不動」駅へ。髙幡不動尊へ土方さんの銅像を拝みに行くこととします。 駅ナカの「高幡まんじゅう」屋さんで三色団子を発見したので思わず食べてきちゃいました!大好きなんです、色が可愛い!中身が無いのがちょっと寂しいですが、それでも美味しいです。また、ここでは色々な新選組モチーフのお菓子が売っていたので大量買いしました。井上源三郎どらやき(略して源どら)に、土方歳三羊羹、土方歳三まんじゅう、近藤勇の魂・・・などなど。バラ買いも出来るので、安心して買うことができます!現段階でまだ全部食べ切れてませんが、どれも美味しそうです。
 高幡不動尊へは駅からまっすぐ、3分程度で到着します。日にちが良かったらしく、お宮参りに来られている家族の方が何組か居ました。中には私と同様のような人々(新選組ファン)も・・・しっかりとお参りを済ませてから、土方さんの銅像へ・・・と、思ったのですが、何やら案内の看板を見つけました。「高幡不動尊の新選組史料はこちらへ」・・・以前来た時は全く知らなかったのですが、何と、高幡不動尊所蔵の史料があるということ!わくわくしながら向かいました。写真撮影は禁止でしたので、ここでは言葉だけで記すことにしますが・・・。函館旅行記で書いた江差の資料館と同様、こじんまりとしているにも関わらず、中身はひじょーーに濃かったです。土方さんの書状・中島登さんの伝え書き・榎本さんの和歌・鳳さんの漢詩・徳川慶喜公の書・勝海舟の書・・・などなど、お宝屋敷どころではありません。定期的に展示入れ替えをされるらしいのですが、絶対に行く価値はあると思います!新選組も大好きではありますが、蝦夷共和国のメンバーを見ると興奮状態MAXになる私は、理性を失った状態で史料をガン見しました。天国でした。ありがとうございました・・・!館内展示物の説明を記した資料集もありましたので、当然の如く購入。家宝にします。 うはうは状態の史料鑑賞を終え、外に。いくつかのグッズを購入した後に、「近藤勇・土方歳三顕彰の碑」を見ました。この全文の意味が全くわからないなあ・・・と思っていたら、お寺の人が出て来てくれて、意味を記したという紙をくれました。ありがとうございます・・・!感謝感激雨あられ。その資料を読んでみたところ、近藤さん・土方さんの生まれてから亡くなるまでの人生や、新選組の歴史について事細かく記してあったということ。また、地元の人に聞いた話によれば、この碑はかつては境内の裏の目立たないところにあったらしいです。新政府の目を逃れるために・・・。目立つところに移動されたのはつい最近のこと(平成14年くらい)だとか!その時まで、新選組に対するイメージは悪いものだったということでしょうか。幕末という時代はけして遠い昔のものではなく、つい最近のものだったんだという事実を思い知りました。  顕彰碑の隣には凛々しい和装姿の土方さんが居ます!五稜郭の洋装土方さんも麗しかったですが、日野の土方さんはまた違った威風堂々さを感じますね。故郷の地に立つ土方さんはどこか誇らしげな表情にも見えます。うーん、やっぱり格好良い!和装姿の写真は現存していないのでしょうか?誰か持ってたりとかいうことは、無いのかな・・・是非是非見てみたいものです。 高幡不動尊周辺には「高幡まんじゅう」本店をはじめとするお店屋さんが数多く有り、新選組グッズの宝庫となっています。土方さんや沖田・近藤さんを描いた壁画も充実していて見ているだけでも楽しいです。地元の人たちに愛されているんだな、ということを感じて嬉しくなりますね。
 ちなみにここは、高幡不動駅前にあるかの有名な「池田屋」さんです。新選組ファンのご主人が切り盛りしている飯どころ・・・だったのですが、2年程前に料亭は閉めてしまったらしく・・・今はグッズ専門店になっています。隊士の名前のついたランチセットが沢山あって面白かっただけに、とっても残念ですが、グッズが充実していたので楽しめました!!京都や会津、函館、なぜか龍馬さんの故郷高知のグッズもあったり・・・。こんなお店が近くにあったら毎日通って破産してしまいそうです。ここでは、土方歳三名刺入れやマウスパッドなどの小物を購入しました。

 おひるごはんを食べてからバスに乗り込み、次は「日野市立新選組のふるさと歴史館」へ! この歴史館では、今年の3月から通年開館・常設展示が始まったらしいです。新選組の歴史だけではなく、日野宿の歴史・八王子千人同心・新徴組の歴史などについて幅広く理解を深められます。土方さんが語る歴史ビデオもあり!余談ですが、このビデオの中に出てくる土方さん(CGです)の声が、有名声優・森川智之さんだったことにびっくりしました。どうも良い声だと思ったら・・・戦国BASARAの片倉小十郎の声ですね。真の通った声の感じが土方さんに合っている、かも、と思いました。 館内では土方さんの衣装(洋装と和装が有ります)を着て写真を撮ることができます。小道具も充実していて、旗から刀、銃まで様々です。撮影場所が思いっきり入り口付近なので恥ずかしいといえば恥ずかしいんですが、ここまで来てやらないのは阿呆過ぎる!!ということで、やってきましたとも!!  はい、まあ、こんな感じで・・・ポーズと加工だけはいっちょ前に頑張りました。衣装の出来がすごく良いんですよ!!さすがです、愛を感じます。刀もちゃんと土方さんの愛刀「兼定」仕様です。このほかにも色々撮って遊んだのですが、さすがに恥ずかしいので割愛します。プロフィール写真にその一端があったり無かったり・・・。

 ここでは、資料集の他に、CDを購入しました。藤田勉さんという方が作曲された新選組のイメージ曲は本当にすばらしくて・・・!ipodに入れて毎日聞いています^^*土方さんのテーマ曲がイメージぴったりで大のお気に入り。誰かこの曲に合わせて映画とか作ってくれないかな・・・。

 歴史館を出てからは「日野宿本陣」へ。歩いて15分ほどの距離のところにあります。雨模様だったので外観の写真は上手く撮れなかったので、内部だけ。日野宿は、土方さんのお姉さんであるおのぶさんが嫁いだ先である佐藤彦五郎さんの邸宅跡になります。この場所で、近藤さん・土方さんをはじめとする新選組の主要メンバーは出会いました。また、土方さんの死後は、土方さんの遺品を届けに来た市村鉄之助が匿われていたとの話も。係の方によれば、鉄之助が本当に来たかどうかは定かではないらしいですが・・・。どちらにせよ、現代に至るまでこの建物が残っているというのはすばらしいことだと思います。

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 以上で日野新選組巡りは終わりです。ちなみに、たった1日の観光だったにもかかわらず、グッズを買いすぎて諭吉さんが飛んで行ってしまいました。グッズ写真などはまた後日まとめてアップしますね。

【歴史】5月25日、「龍馬伝展」へ

 去る5月25日には、高校時代の親友(龍馬好き)と共に江戸東京博物館で開催中の「龍馬伝」展に行って参りました。平日の昼間から行ったのでまあすいているだろうと思いきや、すごい人・・・。龍馬人気を感じました。

 昨年の夏に同じ友人と一緒に高知に赴いていることからもわかるように、大の歴史好きの二人です。龍馬トークをしながらじっくりと見て回ることができました。龍馬さん関係の史料は殆どが手紙なので、見ていてもそんなに面白くは無い(勿論発見はありますが)かなあという感じではあったのですが、さすがは大河ドラマの展示会。手紙以外の史料展示を充実させていたり、龍馬以外の人物の史料(新選組の「誠」の腕章もありました)を置いてみたりと、飽きさせない作りになっていました。中でも印象に残ったものをここにあげておきます。

●平井収二郎辞世の句
 大河ドラマ「龍馬伝」では宮迫さんが演じた、血気盛んな若者でした。土佐勤王党員の一人として、20代のうちに切腹させられてしまいます。切腹前に獄中で詠んだと言われる辞世の句が今でも残っています。何と、紙に墨で書かれたものではなく、爪で痕をつけて書いたものです。思わず息をのんでしまいました。収二郎の悔しさや辛さが滲み出ているかのような痕と、文字。この辞世の句は、収二郎の死後に、妹の加尾が墓碑に刻んだらしいです。が、結局は藩吏に削り取られてしまったとか。亡くなった人に対してもこの仕打ち、何とも空しいというか、憤りを感じます。現代では「辞世の碑」が建てられているそうなので、ようやく、供養できたと考えても大丈夫でしょうか・・・。

●武市半平太獄中の絵
 収二郎の辞世の句の隣に置いてありました。大河ドラマ「龍馬伝」の中でもよく絵を描いているシーンが出て来ますが、実在の武市さんも絵が上手だったんですね。上述の収二郎の辞世の句には、悔しさが滲み出ていましたが、武市さんの絵は寧ろ穏やかで、コミカルな感じすら受けました。土佐勤王党の終わり、そして、自分自身の人生の終わりをも見つめていたのかもしれません。

●「近江屋」再現
 龍馬さんが命を落とした「近江屋」の一室が再現されたものです。龍馬さんの血が付着しているという屏風もありました。私が行った時にはもう本物の展示期間は終わっていて、復元された屏風ではありましたが、それでも、部屋がそのままの形で再現されているというのがリアリティ溢れていて。志半ばで命を落とした龍馬さんの無念さが伝わって来ました。


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 龍馬さん関係のところに行っていつも思うのが、龍馬人気の凄さ。大河ドラマ効果だけでは無い、根強い人気をひしひしと感じます。若い男性の方(20代~30代前半)に特に指示されているように思えます。「龍馬のようになりたい!」と語る人(政治家や起業家の方々含む)もとても多いです。龍馬も、まさかこんなに英雄扱いされるとは思っていなかったかもしれません。だって、龍馬は、別に誰かにあこがれて行動していたわけではないから。・・・現代の人々は、龍馬を「あこがれの対象」とするよりも寧ろ、「龍馬を超える英雄となる人物」を目指して行動するべきではないでしょうか?

【史跡】5月15日~17日、函館五稜郭祭、その③

【5月17日】

 最終日は大忙し!五稜郭祭は終了し、もう平日にはなっているわけですが、私の旅はまだまだ終わりません。というか、最大のイベントが待っております。朝4時半起き、再び。函館駅前から7時過ぎのバスに乗ります。どこに行くかと言えば・・・。  「江差」という、函館からは遠く離れた場所に向かうのです。バスに乗って2時間半もかかります。羽田から函館に行くより遠いです。最も、バスと飛行機という交通手段の違いはありますが・・・2時間半もバスに乗るなんて修学旅行以来でしょうか。トイレに行きたくならないか心配でした(笑)実際のところはぐーすかと眠りこけたのであっという間。結果オーライでしょうか。そのせいで、通り道にあったという「二股口」(箱館戦争中に土方さんが守り続けた場所)を見損ねました・・・。 朝9時頃に目覚めて窓の外を見ると、寒々しい海がそこにはありました!寒々しいと言っては失礼、というか、北海道なので寒そうなのは当たり前なんですが、ここ2日間ほど桜の木を見ながらまったりまったりしていたので、北海道=寒いというイメージが覆されていたようです。この写真の遠くの方に、何やら船っぽいのがあります。あれが復元された開陽丸です。おおお、いよいよか!とわくわく状態でバスの到着を待っていたのですが・・・。


 いつまで経っても停留所がこない。


 「江差ターミナル」で降りれば大丈夫!と思い、待ち続けていたのですが、いつまで経ってもそんな駅は無い。気がつけばどんどんと離れていく開陽丸・・・おかしい、さすがにおかしい。このままじゃ江差の外れの外れの方に連れて行かれてしまうのでは?!と焦ります。するとさすがに運転手さんも私たちのただならぬ様子に気がついたのか、一言。「このまま乗ってると町外れの方まで行っちゃうよ?」な、なんですとー!運転手さんの話では、開陽丸に行きたいのであれば「江差の船着き場(船のターミナル)」で降りるべきだったんだとか。ターミナルってそっちのターミナルかい!!さすが辺境の史跡巡りは何が起きるかわかりません。今度から気をつけよう^^;結局、途中で下ろしてもらい、開陽丸に電話してタクシーで迎えに来てもらうことで落ち着きました。ご迷惑をおかけしました・・・! そんなこんなを経てようやくたどり着いた開陽丸(正式名称は「開陽丸青少年センター」です)、榎本さんがオランダから持ち帰った「史上最強の軍艦」でありながら、わずか1年足らずで、ろくな海戦も経験せずに沈んで(沈めて)しまったという伝説の軍艦です。・・・何かこうやって書くとすごい変なんですけど、実際そうなんですよ!!沈んじゃったんだもの。でもこうして復元とは言え蘇って、本当に良かったと思います。榎本さんも喜んでくださっているに違いない。 開陽丸青少年センターの入り口付近には、まるで小学校の音楽室あるいは校長室かのように共和国の方々の肖像写真が掲げてあります。こうやって見るとおじさんばかりですね。実際には30代そこそこなんですけど髭のせいでお年寄りに見えるんです。大好きです!(いきなり告白)写真下にあるのは新聞記事。開陽丸復元までの道のりと、開陽丸及び蝦夷共和国の歴史が記してあります。すごく欲しかったんですが、残念ながら販売はしていませんでした・・・売ればいいのにな。  開陽丸の中を少しだけ。この蝋人形さんたち、結構リアルです。普通にびびります。「起こさないでください」とか、シュールでしかない・・・ハンモックに実際に寝っ転がることも可能です。勿論やってきましたが、あれ、かなり眠りづらいですね。船の中であんなのに寝てたら酔うしか・・・。 大砲のそばにいる蝋人形さんたちはボタンを押すと喋ってくれます。口が動くわけじゃあないのに妙なリアルさ・シュールさ。まあそんな感じで色々な意味で面白い船内なんですが、普通に貴重な資料(開陽丸からの引き揚げ品や、榎本さんの「万国海律全書」なども!めっちゃ貴重です。それなのに無造作に置いてあるので、「い、いいのか?!」と不安な気分になります。
 えーと・・・確かこの蝋人形は蝦夷共和国の方々なんですが・・・手前が土方さんで奥の髭面の方が榎本さん、だったとしか覚えておらず・・・。海軍系なら荒井さんとか人見さんとかが居てもいいんですが、中島三郎助さんとかが居た気もする(笑)さりげなく土方さんが少し離れたところで「あー何やってんだこいつら」みたいな顔をしているのに笑いました。ボタンを押すと喋ってくれます。でも、土方さんの台詞が無かったような気もするぞ!
 看板にも出られます。実際に海の上にあるだけあって、寒い!揺れる!寒い!!揺れる!!結構な風の強さだったため、なかなかリアリティあふれる体験ができました。船長気分を味わって舵を握ってみたり、とにかく遊べます。コスプレ衣装貸し出しもあったので、身も心もなりきり体験もできます。が、あまりに寒かったために断念せざるを得ませんでした。やっぱり北海道は寒いですね!


 その後は「いにしえ街道」という古き良き街道を通りぶらぶらと歩きながら「旧檜山爾志郡役所」(江差町郷土資料館)へ。ここには、開陽丸の座礁を目の当たりにした土方さんが悔しがって叩いたという松の木があります。 これがその松の木。土方さんが叩いたせいで瘤が出来てすっかり曲がってしまったという話です。すごい力で叩いた感が満載です。よっぽど悔しかったんだろうな・・・そりゃ、そうですよね・・・。土方さんの悔しさを感じるために、海を見下ろしながら叩く真似なんぞしてみました。道路に面したところにあるので色々な人(地元のドライバーの方々)に奇異な目で見られるのが少し恥ずかしかったです。ちなみにこの郡役所、今は資料館になっています。当初は入る気は無かったのですが、どうやら箱館戦争の企画展をやっているらしいということで、これは行かねばならぬだろう!と、入館しました。
 これがその企画展のポスターです。「人物を通して見た」ってことは、共和国メンバーの紹介とかかな・・?と軽い気持ちで行ったのですが、良い意味で裏切られました。貴重な史料が大量に!市立函館博物館もなかなかでしたが、榎本さん・大鳥さんのリアル書状があるのはここだけです。江差を統治していた人(松岡四郎次郎さん)に出した手紙がありました。松岡さんの子孫の方の個人蔵なんでしょうか?隠れ大鳥ファンの私は大興奮。こんな貴重な史料をこんなにさり気なく置いちゃって良いんでしょうか!?びっくりです。その他にも、大鳥さんが詠んだ和歌や、新政府軍の黒田清隆さん、山田顕義さんの書状なども。こういう素敵な出会いがあるので史跡巡り・資料館巡りはやめられないです・・・^^* 中にはこんなお遊び資料も(笑)どう頑張っても旧幕府軍が勝てない双六ではありますが、忠実に書いてあるのですごく楽しかったです。思わず夢中になって遊んできました。こういうのも売ってくれれば良いのになあ・・と思ってしまうのは我が儘でしょうか・・・。ちなみにこの郡役所でもコスプレ衣装貸し出しがありました。開陽丸とは異なり室内なので寒くもないし、人も少なめ(というか私たちしか居なかった)ので、ノリノリでやってきました。
 こ、これくらいなら大丈夫でしょうか・・・?!嘆いてきました。ちゃんと。


 遊び惚けて、気がつけばもう13時過ぎに。バスの時間は15時過ぎで、それを逃してしまったら駅に帰れない→空港に行けない→家に帰れないという危険な事態になってしまいます。少し急ぎつつ、おひるごはんを食べに行きました。
 「いにしえ街道」沿いにあるお蕎麦屋さん「やまげん」でお蕎麦を頂きました。特製だというこの一品、やはり美味でした。揚げ玉・海苔・鰹節・大根おろしという組み合わせでサッパリとした口当たり。このときは温かいお蕎麦にしましたが、冷やしもありました。お店の人にバスの時間と停留所の場所を再確認し(←もう間違えられない)、無事に江差を脱出することができました。


 ちなみに帰りのバスからは、行きに見逃した「二股口」付近をちゃんと拝んで参りました!とは言っても、見渡す限りの山道なので、必ずしもこことは言い切れないところではあります・・・。それにしてもすごい山道です。未だに野生の熊さんと遭遇することもあるらしいので、二股口に行こうと考えられている方は十分に注意してください。勿論私はやりませんでした。すみません、チキンで・・・。

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 以上で私の3日間に渡る函館五稜郭祭&蝦夷共和国史跡巡りの旅は終わりです。濃厚な3日間を過ごせました!次は是非、箱館奉行所完成後にもう一度行きたいものです♪

【史跡】5月15日~17日、函館五稜郭祭、その②

【5月16日】

 というわけで2日目です。1日目は睡眠不足の上に動き回ってしまったのでへとへとになり、ぐっすり眠りました。8時間睡眠・・・普段の生活よりも寝ています。旅行に出ると規則正しい生活を心がけるのですね。早寝、早起き。ちなみに2日目は6時起きでした。朝ご飯は市電「五稜郭公園前」駅目の前のミスタードーナツで。ちょっと意外というか、びっくりだったのが、函館市内にはカフェ的なものがとても少ないんですね。都内を歩いているとスタバやらマックやらエクセルシオールやら、「これでもか!」というほどにカフェに出くわすのですが・・・都会人(?)の感覚からすると少し不便かもしれません。
 こうしてじっくりとお腹を満たしてから、「五稜郭公園前」から「谷地頭(やちがしら)」駅へ向かうために市電に乗り込みました。所要時間は30分くらい・・・だったかな?市電は函館市民にとって重要な「足」らしく、予想以上に混んでいました。この日は日曜日だったのでまだ人は少なかったんだろうと思いますが、平日はもっと混みそうですね。大変です。
 途中駅からこんな建物を見つけました!「北海道坂本龍馬記念館」・・・なぜに龍馬さんと北海道?と不思議でした。後日、パンフレットを手に入れて確認したところ、龍馬さんの子孫の方が北海道に移り住んだことで、手紙や史料が残っているらしいです。(参考ページはこちら)今年の龍馬ブームにも後押しされて、割と繁盛しているのでしょうか?今回は行けず仕舞でした、残念・・・。
 ついに「谷地頭」駅に到着。旧幕府軍の慰霊碑である「碧血碑」を目指します。谷地頭駅は、住宅街のど真ん中にぽつーんと有る感じなので、焦ります。地図を持っていたので何とかなるだろうは思いつつも、やっぱり焦ります(笑)2007年の旅行時にも来ていることは来ているんですが、そのときはレンタカーを借りていたんですよね・・・歩きだと今回が初めてでした。ちゃんと到着できるかなあ、と、不安になりつつも、「絶対に蒼血碑に行くであろう人」に着いていくこととしました。こういう状況下でお仲間に出会えると嬉しくなりました。そうして無事に蒼血碑の看板を見つけることができました。・・・とは言ってもい、この看板から更に歩かなければならいないのですが・・上り坂なので結構つらかったです。体力、亡いんですよね・・・。  いつの間にか前に歩いていたお仲間さんたちとはぐれつつも、(どうやら「函館八幡宮」の方へ向かっていったらしいです)無事にたどり着くことができました!「碧血碑」です。「義に殉じた武士の血は、3年経つと碧色になる」という中国の故事を元にこの名前がつけられたとか。1875年(明治8年)に、箱館戦争を含む戊辰戦争全体で命を落とした方々を慰霊するために建てられました。題字は大鳥圭介さんが書いたとか。裏にも文字が書かれているのですが、榎本武揚さんが書いたものらしいです。蝦夷共和国の中でも命を落とした人は大勢いたわけで・・・明治の世まで生き残りながらも、仲間たちの姿を忘れることはできなかったであろう二人の切なさというか、やるせなさを感じます。 亡くなった方々の霊魂を、「幽霊」という言葉で一括りにして語ることはしたくありません。私はそのようなことは好きではないし、無神経きわまりない行為だと考えているからです。ただ、「蒼血碑」周辺には、亡くなった方々の「想い」がそのまま残っているような気はしました。静寂の中で目を閉じれば、声が聞こえてくるような。上手く言えませんが、不思議な空間です。朝日に輝く碑を見上げて、言葉も発さずに、ただ、ただ、そこに佇むだけで、涙が出て来てしまうような。どうか、安らかに眠ってください、と、心から願わずには居られませんでした。
 名残惜しい気持ちを引きずりつつも、次の場所へ移動です。再び「谷地頭」駅から市電に乗り込み、隣駅へ。「函館公園」に向かいました。  公園自体は、地元の人たちの憩いの場といった感じで、何の変哲も無い感じではあるのですが・・・実は公園の中心部に「市立函館博物館」があるのです。(その①でも書いたように)かつては五稜郭公園の中に「分館」が有って、そこに箱館戦争の史料などがあったのですが、今は無くなってしまったため、市立函館博物館が一括して展示しています。箱館戦争に興味津々な私としてはまさに宝の山!博物館内の写真撮影は禁止ですので、ここでは言葉のみで感想を語らせて頂きますが・・・。新政府軍の方の軍服や、中島登の描いた新選組隊士の姿絵、箱館戦争を描いた当時の絵画などが印象的でした。大砲もあったかな?土方歳三を特集した「そのとき歴史が動いた」の上映なども。さすがに全部を見ることは叶いませんでしたが、雰囲気を上手い具合に盛り上げていました。また、その他にも、北海道開拓の歴史や、はたまた動物の剥製展示もありました。野生動物の剥製、すごかったです。つい最近まで上野で開催されていた「大哺乳類展」にも行きましたが、それをしのぐ迫力がありました。自然体で飾ってあるのが良いのでしょうね。
 博物館には1時間以上いたように思います。史料が大量に有ると夢中になってしまうんです。博物館の係の人にも「ずいぶんじっくり見られていましたね」とびっくりされました・・・しかしあまりゆっくりはしていられません。13時からは函館五稜郭祭最大のイベント、パレードが始まるのですから!市電に乗って「五稜郭公園前」駅に戻りました。おひるごはんは函館ラーメンです。有名な「あじさい」というお店で頂きました。本場の函館ラーメンは違いますね!あまりのおいしさに、夜ご飯も同じお店でラーメンを食べちゃうわけですが・・・さすがにやりすぎですかね?それほどまでに美味しかった、ということで。


 さあ、おなかも満たしたところで、いよいよパレード開始です!五稜郭公園に向かう道(北海道新聞社とかがありました)で剣技のお披露目もあるということで、じりじりとした暑い日差しに耐えつつ待ち続けること30分。いよいよパレードが始まりました!
 一番最初にやってきたのは開陽丸!・・・と、なぜか黒船(笑)おそらくこの写真は開陽丸の方だと思うのですが・・・少し定かじゃありません。これ、どうやって動いているのかと不思議だったんですが、中にトラックが入っているんですね。船の真ん中あたりから普通にドライバーの姿が見えたりして、ちょっと笑えました。それでも立派に作られています。力の入れようを感じます。  正直なところ、パレードを見るのに夢中になりすぎて、あんまり良い写真がありません!なので、厳選したものを・・・一番最初の青い軍服は伝習隊、真ん中は大砲、一番下は蝦夷新選組の方々です。そのほかにも、額兵隊や会津藩など、旧幕府軍の方々がたくさん歩いていました。市民の方や市役所の方、あるいは現役の警察官・自衛官の方々など、多種多様な参加者がいるみたいですが、皆さん、表情が本気でした。うーん、熱い!私が見ていたところはちょうど旧幕府軍(蝦夷共和国)側でした。反対側には新政府軍が。向かい合い、大砲を撃ち合ったところで(本物です!すごい音でした)剣技の開始です。 自分なりには最高の場所を取ったつもりだったんですが、剣技披露の場所と少しズレていました・・・涙。なので、土方さんをはじめとする皆様のチャンバラを見ることができず。残念!でも、後ろからはばっちり見ましたよ!(←フォロー)この写真の真ん中に写っている後ろ姿が、土方さんです。スラっとした長身にまっすぐ伸びた背筋が印象的な方でした。大鳥さんも近くに居たんだけど・・・うん、まあ、戦わないよね、という(笑)そんなあなたが嫌いじゃありません。
 剣技披露の後は再びパレードが進みます。威風堂々と現れる新政府軍の方々・・・うわーん、怖いよ!と、叫びたくなってしまうのは、やはり私が佐幕派贔屓だからでしょうか・・・錦の御旗が聳え立っています。ううむ・・・憎いとまでは言いませんが、何とも複雑な気持ちに・・・。パレードはそのまま五稜郭公園の中へと入って行きます、いよいよ、フィナーレです。
 少しズレてますね(汗)このシーンは、箱館戦争終結の様子です。五稜郭の開城ですね。頭を下げているのは榎本さん・松平さん・大鳥さんなど蝦夷共和国幹部の方々、対するは黒田さん率いる新政府軍の方々です。最後の最後まで戦い続けた「ラストサムライ」たちの姿と考えると、熱いものがこみ上げてきます。ちなみにこの写真の前方にもある大砲ですが、ここでも迫力満点の空気砲が打ち鳴らされていました!お腹の底まで響く音は、花火とはまた違った感じでした。・・・そりゃそうですね。ここで五稜郭祭は閉幕です。地元の人たちから観光客まで一緒になって盛り上がるイベントでしたので、終わってしまうということにはちょっとした寂しさも漂っていました。また来年も行きたいなと思いつつ。
 疲れたのでまたもやホテルに戻って休憩です。すぐ疲れて しまうのが私の良くないところですね・・・お腹もすいてしまいます。知る人ぞ知るローカルなコンビニ、「ハセガワストア」の焼き鳥弁当を部屋に持ち帰って食べました。実はこれ、鳥肉じゃないんです。豚肉なんです。何でトリなのにブタ?!うーん、函館、よくわからない・・・B級グルメということでしたが、普通に美味でした。

 さあ十分に休憩をしたところで、2日目の締めということで、再び五稜郭タワーへ!夕日を拝みます。
 時間としては19時近くになるのですが、ちょうど日が沈んでいくところでした。町全体がオレンジ色に染まってから暗くなっていく様子は、寂しくもあり、美しくもあり・・・。五稜郭祭が終了したということもあって、もの悲しさは倍増でした。


 土方さんも夕日を見つめながら寂しい気分になったり、郷愁の念を馳せたりしたことがあったかもしれません。タワー展望室の銅像がオレンジ色に染められた時、そんな想像をしてしまいました。後で気がついたのですが、この銅像は、本州の方を向いているのですね。魂だけでも、故郷に帰ることはできたのでしょうか。そうだといいな、と思います。

 タワーで動き回っていたらまたまたお腹がすいてしまったので、再び「あじさい」さんの函館ラーメンのお世話になりました。夜は早めに22時就寝、さあいよいよ3日目です!