2010年6月2日水曜日

【史跡】5月15日~17日、函館五稜郭祭、その③

【5月17日】

 最終日は大忙し!五稜郭祭は終了し、もう平日にはなっているわけですが、私の旅はまだまだ終わりません。というか、最大のイベントが待っております。朝4時半起き、再び。函館駅前から7時過ぎのバスに乗ります。どこに行くかと言えば・・・。  「江差」という、函館からは遠く離れた場所に向かうのです。バスに乗って2時間半もかかります。羽田から函館に行くより遠いです。最も、バスと飛行機という交通手段の違いはありますが・・・2時間半もバスに乗るなんて修学旅行以来でしょうか。トイレに行きたくならないか心配でした(笑)実際のところはぐーすかと眠りこけたのであっという間。結果オーライでしょうか。そのせいで、通り道にあったという「二股口」(箱館戦争中に土方さんが守り続けた場所)を見損ねました・・・。 朝9時頃に目覚めて窓の外を見ると、寒々しい海がそこにはありました!寒々しいと言っては失礼、というか、北海道なので寒そうなのは当たり前なんですが、ここ2日間ほど桜の木を見ながらまったりまったりしていたので、北海道=寒いというイメージが覆されていたようです。この写真の遠くの方に、何やら船っぽいのがあります。あれが復元された開陽丸です。おおお、いよいよか!とわくわく状態でバスの到着を待っていたのですが・・・。


 いつまで経っても停留所がこない。


 「江差ターミナル」で降りれば大丈夫!と思い、待ち続けていたのですが、いつまで経ってもそんな駅は無い。気がつけばどんどんと離れていく開陽丸・・・おかしい、さすがにおかしい。このままじゃ江差の外れの外れの方に連れて行かれてしまうのでは?!と焦ります。するとさすがに運転手さんも私たちのただならぬ様子に気がついたのか、一言。「このまま乗ってると町外れの方まで行っちゃうよ?」な、なんですとー!運転手さんの話では、開陽丸に行きたいのであれば「江差の船着き場(船のターミナル)」で降りるべきだったんだとか。ターミナルってそっちのターミナルかい!!さすが辺境の史跡巡りは何が起きるかわかりません。今度から気をつけよう^^;結局、途中で下ろしてもらい、開陽丸に電話してタクシーで迎えに来てもらうことで落ち着きました。ご迷惑をおかけしました・・・! そんなこんなを経てようやくたどり着いた開陽丸(正式名称は「開陽丸青少年センター」です)、榎本さんがオランダから持ち帰った「史上最強の軍艦」でありながら、わずか1年足らずで、ろくな海戦も経験せずに沈んで(沈めて)しまったという伝説の軍艦です。・・・何かこうやって書くとすごい変なんですけど、実際そうなんですよ!!沈んじゃったんだもの。でもこうして復元とは言え蘇って、本当に良かったと思います。榎本さんも喜んでくださっているに違いない。 開陽丸青少年センターの入り口付近には、まるで小学校の音楽室あるいは校長室かのように共和国の方々の肖像写真が掲げてあります。こうやって見るとおじさんばかりですね。実際には30代そこそこなんですけど髭のせいでお年寄りに見えるんです。大好きです!(いきなり告白)写真下にあるのは新聞記事。開陽丸復元までの道のりと、開陽丸及び蝦夷共和国の歴史が記してあります。すごく欲しかったんですが、残念ながら販売はしていませんでした・・・売ればいいのにな。  開陽丸の中を少しだけ。この蝋人形さんたち、結構リアルです。普通にびびります。「起こさないでください」とか、シュールでしかない・・・ハンモックに実際に寝っ転がることも可能です。勿論やってきましたが、あれ、かなり眠りづらいですね。船の中であんなのに寝てたら酔うしか・・・。 大砲のそばにいる蝋人形さんたちはボタンを押すと喋ってくれます。口が動くわけじゃあないのに妙なリアルさ・シュールさ。まあそんな感じで色々な意味で面白い船内なんですが、普通に貴重な資料(開陽丸からの引き揚げ品や、榎本さんの「万国海律全書」なども!めっちゃ貴重です。それなのに無造作に置いてあるので、「い、いいのか?!」と不安な気分になります。
 えーと・・・確かこの蝋人形は蝦夷共和国の方々なんですが・・・手前が土方さんで奥の髭面の方が榎本さん、だったとしか覚えておらず・・・。海軍系なら荒井さんとか人見さんとかが居てもいいんですが、中島三郎助さんとかが居た気もする(笑)さりげなく土方さんが少し離れたところで「あー何やってんだこいつら」みたいな顔をしているのに笑いました。ボタンを押すと喋ってくれます。でも、土方さんの台詞が無かったような気もするぞ!
 看板にも出られます。実際に海の上にあるだけあって、寒い!揺れる!寒い!!揺れる!!結構な風の強さだったため、なかなかリアリティあふれる体験ができました。船長気分を味わって舵を握ってみたり、とにかく遊べます。コスプレ衣装貸し出しもあったので、身も心もなりきり体験もできます。が、あまりに寒かったために断念せざるを得ませんでした。やっぱり北海道は寒いですね!


 その後は「いにしえ街道」という古き良き街道を通りぶらぶらと歩きながら「旧檜山爾志郡役所」(江差町郷土資料館)へ。ここには、開陽丸の座礁を目の当たりにした土方さんが悔しがって叩いたという松の木があります。 これがその松の木。土方さんが叩いたせいで瘤が出来てすっかり曲がってしまったという話です。すごい力で叩いた感が満載です。よっぽど悔しかったんだろうな・・・そりゃ、そうですよね・・・。土方さんの悔しさを感じるために、海を見下ろしながら叩く真似なんぞしてみました。道路に面したところにあるので色々な人(地元のドライバーの方々)に奇異な目で見られるのが少し恥ずかしかったです。ちなみにこの郡役所、今は資料館になっています。当初は入る気は無かったのですが、どうやら箱館戦争の企画展をやっているらしいということで、これは行かねばならぬだろう!と、入館しました。
 これがその企画展のポスターです。「人物を通して見た」ってことは、共和国メンバーの紹介とかかな・・?と軽い気持ちで行ったのですが、良い意味で裏切られました。貴重な史料が大量に!市立函館博物館もなかなかでしたが、榎本さん・大鳥さんのリアル書状があるのはここだけです。江差を統治していた人(松岡四郎次郎さん)に出した手紙がありました。松岡さんの子孫の方の個人蔵なんでしょうか?隠れ大鳥ファンの私は大興奮。こんな貴重な史料をこんなにさり気なく置いちゃって良いんでしょうか!?びっくりです。その他にも、大鳥さんが詠んだ和歌や、新政府軍の黒田清隆さん、山田顕義さんの書状なども。こういう素敵な出会いがあるので史跡巡り・資料館巡りはやめられないです・・・^^* 中にはこんなお遊び資料も(笑)どう頑張っても旧幕府軍が勝てない双六ではありますが、忠実に書いてあるのですごく楽しかったです。思わず夢中になって遊んできました。こういうのも売ってくれれば良いのになあ・・と思ってしまうのは我が儘でしょうか・・・。ちなみにこの郡役所でもコスプレ衣装貸し出しがありました。開陽丸とは異なり室内なので寒くもないし、人も少なめ(というか私たちしか居なかった)ので、ノリノリでやってきました。
 こ、これくらいなら大丈夫でしょうか・・・?!嘆いてきました。ちゃんと。


 遊び惚けて、気がつけばもう13時過ぎに。バスの時間は15時過ぎで、それを逃してしまったら駅に帰れない→空港に行けない→家に帰れないという危険な事態になってしまいます。少し急ぎつつ、おひるごはんを食べに行きました。
 「いにしえ街道」沿いにあるお蕎麦屋さん「やまげん」でお蕎麦を頂きました。特製だというこの一品、やはり美味でした。揚げ玉・海苔・鰹節・大根おろしという組み合わせでサッパリとした口当たり。このときは温かいお蕎麦にしましたが、冷やしもありました。お店の人にバスの時間と停留所の場所を再確認し(←もう間違えられない)、無事に江差を脱出することができました。


 ちなみに帰りのバスからは、行きに見逃した「二股口」付近をちゃんと拝んで参りました!とは言っても、見渡す限りの山道なので、必ずしもこことは言い切れないところではあります・・・。それにしてもすごい山道です。未だに野生の熊さんと遭遇することもあるらしいので、二股口に行こうと考えられている方は十分に注意してください。勿論私はやりませんでした。すみません、チキンで・・・。

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 以上で私の3日間に渡る函館五稜郭祭&蝦夷共和国史跡巡りの旅は終わりです。濃厚な3日間を過ごせました!次は是非、箱館奉行所完成後にもう一度行きたいものです♪

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