2012年9月25日火曜日

【日記】景色に浮かぶ人の心

仕事をしています。今は休み時間です。昨日からどうも調子がよくなくて、良いパフォーマンスをするというよりは、ただ言われたことをやるのが精一杯になっています。いまの職場には窓が無いので、外の景色を見てゆっくりできるのは、食堂くらいです。
まぁ、それでもいいかなぁとは思います。だって、仕事をしている間は、外を見ない方が幸せだもの。PCに映し出される画面と、書類をただ無心に見ていればいいだけ。

外の景色を見るのは好きです。いい気分転換になります。高所恐怖症だけど、軽度なものなので、高いところから外を見つめることに支障はありません。外の景色を見るのは、綺麗だなぁとか、ビルがたくさんあるんだなぁとか、そういう気持ちを得るためだけではありません。そこに浮かぶ人々の生活とか、心の内を想像するのが好きなのです。

いまの場所で仕事をする前は、目の前が団地だったので、想像は容易でした。子供服をたくさん干してあるあの部屋は、きっと毎日賑やかなんだろう。サラリーマン風の男の人を送り出すお婆さんは、彼の母親か、あるきは祖母なのか。手を繋いで出てきた若いカップルは、平日だというのに世界に2人しかいないみたいに幸せな顔してる。
今の職場では、想像がちょっと難しいのが実情です。目の前には高級マンション、大きな一軒家が立ち並んで、お墓や神社もあります。公園の向こうにはビジネスビル、遠くに見えるのは工場地帯…。あまりに種類の違うものがひしめきあっていて、簡単なストーリーを創り出すことが難しいのです。

わたしはそれでも想いを馳せています。わたしが今、こうして、仕事にやる気が出なくて、恋愛も上手くいかなくて、無駄にイライラして、家族に当たり散らして、どんよりとした曇り空を広げているこの瞬間に。きっとこの景色の中には、わたしと同じような心を浮かべる人もいれば、「このまま世界が止まってしまえばいいのに!」と願うくらいに幸せな人もいるのでしょう。高いところから見る景色は、特撮映画で使われるようなミニチュアと変わりありません。唯一違うのは、そこに人の心が浮かんでいるか、否か。たったひとつだけど、大きな違いです。

わたしはなにを求めているのでしょうか。なにがしたいのでしょうか。わかっているけどわからないふりをして、ただただ、悲しくて、虚しい。こういうときは良くない傾向です。楽しかった(正確には、楽しかった部分だけをクローズアップした)過去の想い出に縋って、潤いのない灰色な現在を呪って、幸せな笑顔を振りまく赤の他人を恨んで、どんどんひとりぼっちになっていきます。

…でも、そんなわたしの感情も、世界中に広がる様々な景色のごく一部です。


憂鬱の押し売りも、幸せの押し売りも、嫌いです。わたしはただ浮かんでは消えるだけの、泡みたいな存在で、いいのです。

それでも、気がついて欲しいと思うのは、やっぱり矛盾しているでしょうか。


2012年9月23日日曜日

【日記】大人になってもいいのかな、ねえ、きんぎょ

■友達と一緒にいるときの楽しさと、恋人との楽しさは違う。友達はたくさんいるけど恋人はひとりだけ。「このひとと一緒にいるからこそ楽しいんだ」とお互いに思えることが大事。
■喧嘩は感情のぶつけ合い。疲弊するもの。喧嘩するほど仲が良いとは言うけど、喧嘩ばかりするのはつかれるだけ。喧嘩しないようにすることが重要。そのためにはどちらか一方だけでも大人になること。
■ギャップ萌えは長くはつづかない。長い目で付き合うときに重要になるのは、意外性に対するトキメキよりも、スタンダードな自然体が合うか否か。

ちょうど1年くらい前に、前の所属部署の上司(とても厳しいおじさんだった)から言われたことが今になって心に沁み渡ってくるとは!人の言葉って、後からやってくる辛さみたいなもの、なのかもね。本当に手厳しい人で、ザ・体育会系で、あの人の部下として続けられるか!って言われたらもうキッパリと「ノー!」だったけど、1年経った今になって考えてみても、あのおじさんから学んだことがすごくすごく為になっている気はするんだよなあ。悔しいやら、面白いやら。

上の言葉は、わたしの送別会として開催された飲み会で言われた言葉で、当時は「まあ役には立つけど・・・偉そうに言いやがって!」くらいにしか思ってなかったんだけど。まさに今の状況にぴったり。

私だけでも、大人になることは、できますか?

届くかわからない言葉をここで呟いてみる。

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昨日は、滑り込みの参加で「アートアクアリウム展2012」へ。テレビで特集されていたからか、あるいは24日までの開催だったからか、まさかの90分待ち!気合いで乗りこんだら、そんなに待たずに入ることができて良かった。人でごった返していたからあまりゆっくりできる雰囲気ではなかったけど、金魚の魅力を、昔ながらの「和」と、今だからこそできる「デジタル」とを上手く融合させて、最大限映し出していたように感じた。子供からお年寄りまで、幅広い世代の人に愛されている生き物なんだなあとも改めて実感。行けて良かった!

それにしても、金魚って本当に色々な種類が居て、しかも色々な大きさが居るんだなあ。鯛みたいなのも居てびっくりしたよ・・・。

2012年9月17日月曜日

【芸術】展示とは?

 今年は3連休が少ないけれど、数少ない休みを割と充実して過ごすことができているように思う。

 9月15日はワタリウム美術館で「歴史の天使」展、16日は横浜市美術館で開催されていた「奈良美智:君や僕にちょっと似ている」展を鑑賞した。最近は休みの度に映画を観たり、美術館に行ったりしている。サブカル女子になる!と息巻いていたのは少し前だけど、サブカルというよりは普通のカルチャー女子になれているのかもしれない。(もう「女子」ではないという突っ込みは受け付けません)
 小さなビルの部屋を使って、壁や窓に直接文字を書き込みながら作品を展示するワタリウム美術館の手法は、いわゆる普通の展示を観ている、というよりも、自分が作品の一部になったようなそんな錯覚を与えてくれるものだった。一方の横浜市美術館は、奈良美智の世界観を十分に表現しきれていなかったように思えた。女の子のイラストがあちこちに飾られていた「部屋」の展示は唯一、奈良さんの世界がそのまま表現されていたかな。それ以外は普通に飾られた絵を観るだけで、ちょっぴり残念。

 私は芸術のことなんて全然わからないし、何かを創りだせるような素晴らしい人間でもないけれど、芸術も含め色々なことを知りたいし、見たいし、聞きたい。これからも精進します。

2012年9月10日月曜日

【感想】最強のふたりに見た異文化の中の同一感

8日の土曜日に、映画「最強のふたり」を鑑賞した。昔ながらの新宿武蔵野館という映画館で、初のフランス映画鑑賞。なんだかいつも観る映画とはひと味もふた味も違って観れた。気がする。

そんな昔ながらの小さな映画館だったおかげで、前に座った少し座高が高めの人の頭が邪魔で字幕が見えなかったのは残念だったけど、生きてるうちに観て良かった!と思える良い映画だった。
障害者という難しい立場の男性にあっけらかんとした態度で接する黒人男性の姿には思わず惹かれてしまった。男性として、というより、人間として、だろうか。こんなひとが近くに居てくれたら幸せなのかも。
話全体はそんなに仰々しくなく、寧ろ淡々とした日記のようなものだったけど、そこがしつこくなくていい。
ふたりの男性の生い立ちも悲劇も喜劇も、そんなに深くは語られない。ただ会話のキャッチボールの中で必要なときに語られるだけで、深くは描かない。
その不完全燃焼感が魅力なのかもしれない。映画の中でも音楽がいろいろとでてきたけど、クラシックでもジャズでもポップスでも、自分の好きな音楽を聞いてるときは、気張らずに気取らずにただ淡々とした時間を送ることができる。
きっとこの映画は、観る人々に、まるで好きな音楽を聞いてる時のように自然な気分を与える作品なんだと思う。

もうひとつ、この映画でとても面白いと感じたのは、フランスという異国の中に、日本と通じうる価値観とか文化があるということ。
「人が好きなんです!」と自己アピールしちゃう就職活動とか。電話の保留音で流れる音楽とか。なぜか名作のクラシック音楽をバックグラウンドに流すCMとか。
「チャリティ番組で見る障害者なんてものよりずっと良い」みたいな言葉もあったけど、フランスでも同じなんだなぁ。
あと地味に気になったのは、障害を抱える富豪のムスメさんの部屋にあった「特」というポスター…。フランスで流行の日本文化?しかしなぜ「特」?


最近、割と映画も観てるし、本も読んでるし、漫画も読んでいる。文化的。良い傾向だ。