仕事をしています。今は休み時間です。昨日からどうも調子がよくなくて、良いパフォーマンスをするというよりは、ただ言われたことをやるのが精一杯になっています。いまの職場には窓が無いので、外の景色を見てゆっくりできるのは、食堂くらいです。
まぁ、それでもいいかなぁとは思います。だって、仕事をしている間は、外を見ない方が幸せだもの。PCに映し出される画面と、書類をただ無心に見ていればいいだけ。
外の景色を見るのは好きです。いい気分転換になります。高所恐怖症だけど、軽度なものなので、高いところから外を見つめることに支障はありません。外の景色を見るのは、綺麗だなぁとか、ビルがたくさんあるんだなぁとか、そういう気持ちを得るためだけではありません。そこに浮かぶ人々の生活とか、心の内を想像するのが好きなのです。
いまの場所で仕事をする前は、目の前が団地だったので、想像は容易でした。子供服をたくさん干してあるあの部屋は、きっと毎日賑やかなんだろう。サラリーマン風の男の人を送り出すお婆さんは、彼の母親か、あるきは祖母なのか。手を繋いで出てきた若いカップルは、平日だというのに世界に2人しかいないみたいに幸せな顔してる。
今の職場では、想像がちょっと難しいのが実情です。目の前には高級マンション、大きな一軒家が立ち並んで、お墓や神社もあります。公園の向こうにはビジネスビル、遠くに見えるのは工場地帯…。あまりに種類の違うものがひしめきあっていて、簡単なストーリーを創り出すことが難しいのです。
わたしはそれでも想いを馳せています。わたしが今、こうして、仕事にやる気が出なくて、恋愛も上手くいかなくて、無駄にイライラして、家族に当たり散らして、どんよりとした曇り空を広げているこの瞬間に。きっとこの景色の中には、わたしと同じような心を浮かべる人もいれば、「このまま世界が止まってしまえばいいのに!」と願うくらいに幸せな人もいるのでしょう。高いところから見る景色は、特撮映画で使われるようなミニチュアと変わりありません。唯一違うのは、そこに人の心が浮かんでいるか、否か。たったひとつだけど、大きな違いです。
わたしはなにを求めているのでしょうか。なにがしたいのでしょうか。わかっているけどわからないふりをして、ただただ、悲しくて、虚しい。こういうときは良くない傾向です。楽しかった(正確には、楽しかった部分だけをクローズアップした)過去の想い出に縋って、潤いのない灰色な現在を呪って、幸せな笑顔を振りまく赤の他人を恨んで、どんどんひとりぼっちになっていきます。
…でも、そんなわたしの感情も、世界中に広がる様々な景色のごく一部です。
憂鬱の押し売りも、幸せの押し売りも、嫌いです。わたしはただ浮かんでは消えるだけの、泡みたいな存在で、いいのです。
それでも、気がついて欲しいと思うのは、やっぱり矛盾しているでしょうか。
2012年9月25日火曜日
2012年9月23日日曜日
【日記】大人になってもいいのかな、ねえ、きんぎょ
■友達と一緒にいるときの楽しさと、恋人との楽しさは違う。友達はたくさんいるけど恋人はひとりだけ。「このひとと一緒にいるからこそ楽しいんだ」とお互いに思えることが大事。
■喧嘩は感情のぶつけ合い。疲弊するもの。喧嘩するほど仲が良いとは言うけど、喧嘩ばかりするのはつかれるだけ。喧嘩しないようにすることが重要。そのためにはどちらか一方だけでも大人になること。
■ギャップ萌えは長くはつづかない。長い目で付き合うときに重要になるのは、意外性に対するトキメキよりも、スタンダードな自然体が合うか否か。
ちょうど1年くらい前に、前の所属部署の上司(とても厳しいおじさんだった)から言われたことが今になって心に沁み渡ってくるとは!人の言葉って、後からやってくる辛さみたいなもの、なのかもね。本当に手厳しい人で、ザ・体育会系で、あの人の部下として続けられるか!って言われたらもうキッパリと「ノー!」だったけど、1年経った今になって考えてみても、あのおじさんから学んだことがすごくすごく為になっている気はするんだよなあ。悔しいやら、面白いやら。
上の言葉は、わたしの送別会として開催された飲み会で言われた言葉で、当時は「まあ役には立つけど・・・偉そうに言いやがって!」くらいにしか思ってなかったんだけど。まさに今の状況にぴったり。
私だけでも、大人になることは、できますか?
届くかわからない言葉をここで呟いてみる。
***
昨日は、滑り込みの参加で「アートアクアリウム展2012」へ。テレビで特集されていたからか、あるいは24日までの開催だったからか、まさかの90分待ち!気合いで乗りこんだら、そんなに待たずに入ることができて良かった。人でごった返していたからあまりゆっくりできる雰囲気ではなかったけど、金魚の魅力を、昔ながらの「和」と、今だからこそできる「デジタル」とを上手く融合させて、最大限映し出していたように感じた。子供からお年寄りまで、幅広い世代の人に愛されている生き物なんだなあとも改めて実感。行けて良かった!
それにしても、金魚って本当に色々な種類が居て、しかも色々な大きさが居るんだなあ。鯛みたいなのも居てびっくりしたよ・・・。
■喧嘩は感情のぶつけ合い。疲弊するもの。喧嘩するほど仲が良いとは言うけど、喧嘩ばかりするのはつかれるだけ。喧嘩しないようにすることが重要。そのためにはどちらか一方だけでも大人になること。
■ギャップ萌えは長くはつづかない。長い目で付き合うときに重要になるのは、意外性に対するトキメキよりも、スタンダードな自然体が合うか否か。
ちょうど1年くらい前に、前の所属部署の上司(とても厳しいおじさんだった)から言われたことが今になって心に沁み渡ってくるとは!人の言葉って、後からやってくる辛さみたいなもの、なのかもね。本当に手厳しい人で、ザ・体育会系で、あの人の部下として続けられるか!って言われたらもうキッパリと「ノー!」だったけど、1年経った今になって考えてみても、あのおじさんから学んだことがすごくすごく為になっている気はするんだよなあ。悔しいやら、面白いやら。
上の言葉は、わたしの送別会として開催された飲み会で言われた言葉で、当時は「まあ役には立つけど・・・偉そうに言いやがって!」くらいにしか思ってなかったんだけど。まさに今の状況にぴったり。
私だけでも、大人になることは、できますか?
届くかわからない言葉をここで呟いてみる。
***
昨日は、滑り込みの参加で「アートアクアリウム展2012」へ。テレビで特集されていたからか、あるいは24日までの開催だったからか、まさかの90分待ち!気合いで乗りこんだら、そんなに待たずに入ることができて良かった。人でごった返していたからあまりゆっくりできる雰囲気ではなかったけど、金魚の魅力を、昔ながらの「和」と、今だからこそできる「デジタル」とを上手く融合させて、最大限映し出していたように感じた。子供からお年寄りまで、幅広い世代の人に愛されている生き物なんだなあとも改めて実感。行けて良かった!
それにしても、金魚って本当に色々な種類が居て、しかも色々な大きさが居るんだなあ。鯛みたいなのも居てびっくりしたよ・・・。
2012年9月17日月曜日
【芸術】展示とは?
今年は3連休が少ないけれど、数少ない休みを割と充実して過ごすことができているように思う。
9月15日はワタリウム美術館で「歴史の天使」展、16日は横浜市美術館で開催されていた「奈良美智:君や僕にちょっと似ている」展を鑑賞した。最近は休みの度に映画を観たり、美術館に行ったりしている。サブカル女子になる!と息巻いていたのは少し前だけど、サブカルというよりは普通のカルチャー女子になれているのかもしれない。(もう「女子」ではないという突っ込みは受け付けません)
小さなビルの部屋を使って、壁や窓に直接文字を書き込みながら作品を展示するワタリウム美術館の手法は、いわゆる普通の展示を観ている、というよりも、自分が作品の一部になったようなそんな錯覚を与えてくれるものだった。一方の横浜市美術館は、奈良美智の世界観を十分に表現しきれていなかったように思えた。女の子のイラストがあちこちに飾られていた「部屋」の展示は唯一、奈良さんの世界がそのまま表現されていたかな。それ以外は普通に飾られた絵を観るだけで、ちょっぴり残念。
私は芸術のことなんて全然わからないし、何かを創りだせるような素晴らしい人間でもないけれど、芸術も含め色々なことを知りたいし、見たいし、聞きたい。これからも精進します。
9月15日はワタリウム美術館で「歴史の天使」展、16日は横浜市美術館で開催されていた「奈良美智:君や僕にちょっと似ている」展を鑑賞した。最近は休みの度に映画を観たり、美術館に行ったりしている。サブカル女子になる!と息巻いていたのは少し前だけど、サブカルというよりは普通のカルチャー女子になれているのかもしれない。(もう「女子」ではないという突っ込みは受け付けません)
小さなビルの部屋を使って、壁や窓に直接文字を書き込みながら作品を展示するワタリウム美術館の手法は、いわゆる普通の展示を観ている、というよりも、自分が作品の一部になったようなそんな錯覚を与えてくれるものだった。一方の横浜市美術館は、奈良美智の世界観を十分に表現しきれていなかったように思えた。女の子のイラストがあちこちに飾られていた「部屋」の展示は唯一、奈良さんの世界がそのまま表現されていたかな。それ以外は普通に飾られた絵を観るだけで、ちょっぴり残念。
私は芸術のことなんて全然わからないし、何かを創りだせるような素晴らしい人間でもないけれど、芸術も含め色々なことを知りたいし、見たいし、聞きたい。これからも精進します。
2012年9月10日月曜日
【感想】最強のふたりに見た異文化の中の同一感
8日の土曜日に、映画「最強のふたり」を鑑賞した。昔ながらの新宿武蔵野館という映画館で、初のフランス映画鑑賞。なんだかいつも観る映画とはひと味もふた味も違って観れた。気がする。
そんな昔ながらの小さな映画館だったおかげで、前に座った少し座高が高めの人の頭が邪魔で字幕が見えなかったのは残念だったけど、生きてるうちに観て良かった!と思える良い映画だった。
障害者という難しい立場の男性にあっけらかんとした態度で接する黒人男性の姿には思わず惹かれてしまった。男性として、というより、人間として、だろうか。こんなひとが近くに居てくれたら幸せなのかも。
話全体はそんなに仰々しくなく、寧ろ淡々とした日記のようなものだったけど、そこがしつこくなくていい。
ふたりの男性の生い立ちも悲劇も喜劇も、そんなに深くは語られない。ただ会話のキャッチボールの中で必要なときに語られるだけで、深くは描かない。
その不完全燃焼感が魅力なのかもしれない。映画の中でも音楽がいろいろとでてきたけど、クラシックでもジャズでもポップスでも、自分の好きな音楽を聞いてるときは、気張らずに気取らずにただ淡々とした時間を送ることができる。
きっとこの映画は、観る人々に、まるで好きな音楽を聞いてる時のように自然な気分を与える作品なんだと思う。
もうひとつ、この映画でとても面白いと感じたのは、フランスという異国の中に、日本と通じうる価値観とか文化があるということ。
「人が好きなんです!」と自己アピールしちゃう就職活動とか。電話の保留音で流れる音楽とか。なぜか名作のクラシック音楽をバックグラウンドに流すCMとか。
「チャリティ番組で見る障害者なんてものよりずっと良い」みたいな言葉もあったけど、フランスでも同じなんだなぁ。
あと地味に気になったのは、障害を抱える富豪のムスメさんの部屋にあった「特」というポスター…。フランスで流行の日本文化?しかしなぜ「特」?
最近、割と映画も観てるし、本も読んでるし、漫画も読んでいる。文化的。良い傾向だ。
そんな昔ながらの小さな映画館だったおかげで、前に座った少し座高が高めの人の頭が邪魔で字幕が見えなかったのは残念だったけど、生きてるうちに観て良かった!と思える良い映画だった。
障害者という難しい立場の男性にあっけらかんとした態度で接する黒人男性の姿には思わず惹かれてしまった。男性として、というより、人間として、だろうか。こんなひとが近くに居てくれたら幸せなのかも。
話全体はそんなに仰々しくなく、寧ろ淡々とした日記のようなものだったけど、そこがしつこくなくていい。
ふたりの男性の生い立ちも悲劇も喜劇も、そんなに深くは語られない。ただ会話のキャッチボールの中で必要なときに語られるだけで、深くは描かない。
その不完全燃焼感が魅力なのかもしれない。映画の中でも音楽がいろいろとでてきたけど、クラシックでもジャズでもポップスでも、自分の好きな音楽を聞いてるときは、気張らずに気取らずにただ淡々とした時間を送ることができる。
きっとこの映画は、観る人々に、まるで好きな音楽を聞いてる時のように自然な気分を与える作品なんだと思う。
もうひとつ、この映画でとても面白いと感じたのは、フランスという異国の中に、日本と通じうる価値観とか文化があるということ。
「人が好きなんです!」と自己アピールしちゃう就職活動とか。電話の保留音で流れる音楽とか。なぜか名作のクラシック音楽をバックグラウンドに流すCMとか。
「チャリティ番組で見る障害者なんてものよりずっと良い」みたいな言葉もあったけど、フランスでも同じなんだなぁ。
あと地味に気になったのは、障害を抱える富豪のムスメさんの部屋にあった「特」というポスター…。フランスで流行の日本文化?しかしなぜ「特」?
最近、割と映画も観てるし、本も読んでるし、漫画も読んでいる。文化的。良い傾向だ。
2012年8月26日日曜日
【感想】おおかみこどもと薄情なわたし
映画「おおかみこどもの雨と雪」を見た。前評判で「とにかく泣ける」とか「いずれ母になる人は見るべき」とあったので、ハンカチを手に覚悟して観に行った。…が、予想に反し、全然泣けなかった。ウルっときたりはしたけど、ほとんど涙の一滴も足れず。あれ?こんなもんかしら?と思って明るくなった場内を見渡して唖然。皆泣いてるじゃないですか…。そうしてわたしは自分自身のことを薄情な奴!と思いこんだわけです。オワリ。 …と、ここだけで終わるのはもったいないので、「なんで泣けなかったのか」を考えてみることにした。
以下、観終わってから数時間後につらつらと書き込んだ自身Twitterより抜粋しながらのまとめ。
***
●おおかみと人間のはざまの子供たちの姿とか、家族の絆とか描くのはよかったんだけど、それならお父さんもいっしょであってほしかった(´・_・`)●
そもそも最初から最後までぬぐい切れなかった違和感はそこ。おおかみと人間の狭間で生きる子供たちとそれを支える親の姿を描きたかったなら、どうしておおかみおとこの父親を死なせる必要があったのか。父親をいないものとして扱うことで、母親の存在の偉大さが際立ったといえばそうかもしれない。仕事ばかりで家庭を顧みない現代社会の父親への暗喩なのかもしれない。でも、だからといって死なせることはないだろう…。しかも意味のわからない死に方で・・・。おおかみおとこの葛藤とか、どうやって彼が大人になったのかとか、そういう部分を知りたかった。少なくとも私は。
勿論世の中には色々な理由で両親が健在じゃない家庭もいるから、父親と母親と子供たちという状態で家族のきずなを描かなければならないわけでもないし、そこは別に片親でもいいと思う。父親の死ぬ意味がよくわからなかったのが純粋に嫌だった。ただそれだけのことで、本編を見ながらもずーっとわたしはもやもやしていた。
●あんなできた母親はいないし、そもそも大学はどうしたんだよとか、実家にはなんて伝えてるんだのとか、貯金で暮らすには無理があるだろとか、いろいろ考えてたらモヤモヤしかしないよね(´・_・`) ●
実は細田監督の作品を見るのは初めてで、かの有名な「時をかける少女」も、「サマーウォーズ」もわたしは観ていない。だからこの作品に特化して言うけれど、この監督、母親とか家族に幻想を求めすぎじゃないの…?と思ってしまった。悪い言葉ですみません。
なんでお母さんがあんな菩薩みたいなんだよ…。あれじゃ人間じゃない、神様じゃないか。その時点でもう現実感がなくて、もうどうしようもない。 一番違和感があったのは、母親の花の家族(雨と雪にとってのおじいちゃんとかおばあちゃん)がノータッチなところ。花のお父さんはもういないみたいな台詞があったけど、じゃあお母さんは…?娘が大学やめて、どこの馬の骨ともわからん男と子供作って、ド田舎に引っ越して暮らしているその間中知らんぷりですか!?家族のきずなをテーマにするなら、そのへんも配慮してあげてもいいんじゃないでしょうか。
その一方で、ド田舎のじーちゃんばーちゃん近所のおばちゃんとの関わりは有ったりして、やっぱり、違和感。結局は、監督が描きたい家族だけを描いてる、幻想でしかない。
●完全にファンタジーとして見れれば良かったけど、全体的に現実さを推し出していたもんだから割り切ることもできなくて、あーなにこれ!なにこれ!と、自分の中で整理ができないままに終わってしまったわけです(´・_・`) ●
本編を通してずっと心の中にあったのは、もやもやーっとした違和感。結論としてはそこ。おおかみおとこの存在の意味は?花の家族は?両親は?え、こんなこと現実にあり得るの?・・もうそんな細けぇことはいいんだよ!状態で、ファンタジーとして割り切って楽しめたならまだ良かったのかもしれない。ファンタジーは好きです。ロードオブザリングとかもう大好き。ディズニーも大好き。この映画の性質の悪いところは、無理やりにでも現実と結び付けようとする描写。
おかげで割り切ることもできず、かといって現実として受け止めることもできず、結果的にただただ違和感を感じるばかりで終わってしまった。
おおかみおとことの間に生まれた子供たちとの話。もうそれだけで明らかにファンタジーなんだから、そういう話にしちゃえばいいのに。それを無理無理に現実と結び付けて、やれ児童相談所だ、やれご近所付き合いだ、やれモンスターペアレンツだ…と出てきてしまうもんだから、ああもう!何が言いたいんだよこれは!!と、巨人の星の親父さん並にちゃぶ台返しをしたくなった。割と本気で。
***
…そんなこんなで酷評してしまいましたが、映像とか音楽とかキャラクターとかはすごく素敵だったのでそういった部分では好きです。アニメ史上に残る傑作だとは思うので、正直言えばもう1回観たいくらい。ただわたしの価値観※には合わなかったという、それだけの問題なのです。
※わたしの価値観:全体的には、山田詠美の本にいちばん合っていると思います。破天荒な設定を掲げつつも、人間というものに対しては、すごく現実的な描き方をするひと。わたしはそんな世界が大好き。
2012年4月1日日曜日
【芸術】世界の終わりのものがたり
※なぜか消えてしまってたので再掲※
春の嵐が吹き荒れる昨日、3月31日、お台場の科学未来館で開催中の「世界の終わりのものがたり~もはや逃れられない73の問い」展へ足を運んだ。途中で電車が止まったせいで約束の時間には間に合わず、会場に着いたのは11時半頃。(某K葉線の使えなさといったら!)休日なので混雑を覚悟していたけれど、悪天候のためか、それともテーマが子供向けではなかったからか、そんなに人はおらず、ゆっくりと見て回ることができた。常設展やプラネタリウムも見たけど、感想は世界の終わりのものがたりに絞ることにします。
3月11日の東日本大震災をきっかけに、日本人皆が感じた、「ある日突然世界が『終わって』しまうことへの恐怖と、それは逃れられないのかもしれないといった不安な気持ち」に対して、見て見ぬふりをするのではなく、あえてシビアに向き合ったという今回の展示。人間はいつか死ぬ、老衰で死ねればいいかもしれないけれど、不慮の事故や災害に見舞われて死んでしまうこともあるかもしれない。大切な人が皆いなくなって、ひとりぼっちになってしまうかもしれない。こうした逃れられない現実をトコトン追求した展示品の数々。心がずーんと重くなるようなテーマにも関わらず、不思議と嫌な気持ちはしなかった。それは、強制的に、ではなく、展示品の中で問いかけられるいくつもの質問に対する答えを、自然に自分の中で見つけようとすることができるから、なのかも。
「人の手によるものと、人の手によらないもの、どちらがこわいと思いますか」「あなたにとって一番こわいことはなんですか」「あなたが死の直前にしたいことはなんですか」「あなたが不治の病にかかったとして、そのことを大切な人に伝えますか」「あなたにとって生きるとはなんですか」「逃れられないリスクに対して、あなたはどう向き合っていきますか」問いかけられる質問に対し、参加者は自分の想いを付箋等に記すことができる。参加型の展示というのは今まで何度か見たことがあるけれど、ここまで「参加型」という特性を活かしたものは初めてだったように思う。自分だけではなく、他の人の答えに目を通すことで、何となく日本人らしさというか、そういうものも感じることができた。勿論私も例外ではなく、その枠にはまってしまっているんだろうけれど。
わたしにとって一番こわいものは、「ひとりになること」だ。漠然とした不安ではあるけれど、幼い頃から心のどこかでずっと感じていた。幸いにも、実際に「ひとりに」になってしまったことはない。家族・友人・恋人…いつだって私のそばには、私を支えてくれる多くの人が居る。これからの人生の中で、そういった周りの人々が誰もいなくなってしまうような、そういう経験はしたくはない。わたしにとっての「わたし」とは、周りの人がいてこそ成り立つものだから。他者との関係性の中での自己。なんだか、昔習った言葉のような…。

この地球の青さも、けして永遠のものではない。現実から目を離さずに生きるのではなく、現実と向き合って、毎日をしっかりと生きることの重要性を、再認識させてくれる良い展示だった。
***
おまけ 3月中旬、家の庭で、梅の花が綺麗に咲きました。
春の嵐が吹き荒れる昨日、3月31日、お台場の科学未来館で開催中の「世界の終わりのものがたり~もはや逃れられない73の問い」展へ足を運んだ。途中で電車が止まったせいで約束の時間には間に合わず、会場に着いたのは11時半頃。(某K葉線の使えなさといったら!)休日なので混雑を覚悟していたけれど、悪天候のためか、それともテーマが子供向けではなかったからか、そんなに人はおらず、ゆっくりと見て回ることができた。常設展やプラネタリウムも見たけど、感想は世界の終わりのものがたりに絞ることにします。
3月11日の東日本大震災をきっかけに、日本人皆が感じた、「ある日突然世界が『終わって』しまうことへの恐怖と、それは逃れられないのかもしれないといった不安な気持ち」に対して、見て見ぬふりをするのではなく、あえてシビアに向き合ったという今回の展示。人間はいつか死ぬ、老衰で死ねればいいかもしれないけれど、不慮の事故や災害に見舞われて死んでしまうこともあるかもしれない。大切な人が皆いなくなって、ひとりぼっちになってしまうかもしれない。こうした逃れられない現実をトコトン追求した展示品の数々。心がずーんと重くなるようなテーマにも関わらず、不思議と嫌な気持ちはしなかった。それは、強制的に、ではなく、展示品の中で問いかけられるいくつもの質問に対する答えを、自然に自分の中で見つけようとすることができるから、なのかも。
「人の手によるものと、人の手によらないもの、どちらがこわいと思いますか」「あなたにとって一番こわいことはなんですか」「あなたが死の直前にしたいことはなんですか」「あなたが不治の病にかかったとして、そのことを大切な人に伝えますか」「あなたにとって生きるとはなんですか」「逃れられないリスクに対して、あなたはどう向き合っていきますか」問いかけられる質問に対し、参加者は自分の想いを付箋等に記すことができる。参加型の展示というのは今まで何度か見たことがあるけれど、ここまで「参加型」という特性を活かしたものは初めてだったように思う。自分だけではなく、他の人の答えに目を通すことで、何となく日本人らしさというか、そういうものも感じることができた。勿論私も例外ではなく、その枠にはまってしまっているんだろうけれど。
わたしにとって一番こわいものは、「ひとりになること」だ。漠然とした不安ではあるけれど、幼い頃から心のどこかでずっと感じていた。幸いにも、実際に「ひとりに」になってしまったことはない。家族・友人・恋人…いつだって私のそばには、私を支えてくれる多くの人が居る。これからの人生の中で、そういった周りの人々が誰もいなくなってしまうような、そういう経験はしたくはない。わたしにとっての「わたし」とは、周りの人がいてこそ成り立つものだから。他者との関係性の中での自己。なんだか、昔習った言葉のような…。
この地球の青さも、けして永遠のものではない。現実から目を離さずに生きるのではなく、現実と向き合って、毎日をしっかりと生きることの重要性を、再認識させてくれる良い展示だった。
***
おまけ 3月中旬、家の庭で、梅の花が綺麗に咲きました。
2012年3月4日日曜日
【芸術】ICCとメディア芸術祭
2月4日と3月3日はサブカルづいていた(自分的には)2月:初台のICCによる「インターネット アートとこれから」へ。3月:国立新美術館で開催中の「第15回 文化庁メディア芸術祭」へ。どちらもサブカルというか、次世代アートというか、何かくだらないことを(勿論良い意味で)真剣に考えて表現している人たちの集まりといった印象。正直私には何かを表現する力なんて全然ないし、次世代アートどころか芸術のことなんか全然詳しくないし、何となく「すごいなー」とか、「へー」とか、「おもしろいなー」って感じる程度なんだけど。幸運なことに私の周りには、作り手として芸術にかかわっている人や、学生の立場から考察・研究している人が多いので、一般の人よりは少しだけ、そういう世界をわかることができている…気はする。
ICCでは、インターネットというものの脅威とか面白さとかがぎゅっと凝縮していた感じ。「お絵描き掲示板」のよる芸術は、自分の経験とも相まって懐かしさと同時に、当時の「絵」に対する純粋な楽しみを見出すことが出来て、しんみりした。あの頃は、何も考えず、好きなものを描いて掲示板に投稿して、顔も知らない他の人と「絵」を介して交流して。まるで自分が一流アーティストになって、同じ職業の仲間と議論を交わす、みたいな、そんな疑似現実を楽しんでいたなあとか思ったり。今はPixivとかでその疑似現実を体験することが可能だけど、何だかレベルが高すぎて、掲示板時代の気軽さとか「下手でも褒めてもらえる」感じはないような気がする。
あともうひとつ、ICCで印象的だったのは、時計。その名も、「夜の12時をすぎてから今日のことを明日っていうとそれが今日なのか明日なのかわからなくなる」。現実の時間を示す時計と、その現実の時間を「表現している」だけにすぎない画面の中の時計。どちらも同じ役割(時間を表す)を果たしているにも関わらず、実際にはその時計が示す時間は異なっている。前者は現実の時間、後者は過去のどこかの時間。なぜならば、過去の時計は過去のどこかで撮影された、画面の中の時計だから。私の拙い説明では単なる厨二病だな。うーむ。
ICCは初めていったけど、通常展示も物凄く魅力的。真鍋大度さんのMV「少年よ我に帰れ」が素敵過ぎて、2回くらい凝視してしまったり、「無響室」で精神不安定になったり。何だか自分がアニメの中の人間になったみたいに、現実と疑似現実をいったりきたり。こういう世界にどっぷりはまってみたいな。不安定になりそうだけど。

そして3月3日。昨日は「メディア芸術祭」へ。今までやっていること自体は何となく知っていたけど、入場無料であることとか、そもそも国立新美術館というものが六本木にあることとか、正直全然知らなかったレベルに近いので、初参加。何で今回行きたい!って思うようになったかっていうと、まあ「魔法少女まどか☆マギカ」が大賞を取ったという事実があるからなんだけど。
まどマギは例の3話の評判を2chまとめアプリで見て、「何これこんな可愛い感じのキャラクターでほんわかした感じのアニメなのにいきなり登場人物首ちょんぱとかえええええ」みたいな感じになってそれ以来まとめの感想とかニコとかで見てずぶずぶとはまっていったのですが(実はちゃんと全部見たわけではないというにわか)やっぱり凄いなあというか。ステマとか色々ゆわれてるけど、サブカル!って感じのイヌカレー空間魔女と鬱シナリオとそれらに相反するような魔法少女たちの可愛さといじらしさが本当素敵なマッチ加減というか、まあとにかく好きなわけです。メディ芸での展示方法も、イヌカレー絵が巧く合うような感じにしててよかったな。そこで流れてたPVが絶妙だったんだけど、もう1回見たい…。映画はも絶対観に行こう。
そしてそれ以外の展示ですが、他にも良いのが沢山あった。印象に残ったのは、しりあがり寿さんの「あの日からのマンガ」。新聞4コマの底力を見た気分。そして新聞の持ついわれもない「力」も。3月11日以降の実際の新聞紙面と、しりあがりさんの4コマを並列でまとめた展示を目にしたことで、彼が未曾有の大災害の中で、「マンガを通して何を表現すべきか」を悩みながら、それでも描き続けてきたという事実に、本気で心打たれた。新聞4コマも、新聞も、インターネットの波に流されてしまいそうな過去の遺産だけでも、やっぱり私は好きだな。
あとは、名前は忘れてしまったけど、ゲーム画面を横につなげて遊ぶことができるもの。ファミコンからキネクトまで。ファミコンなんて知らないんだろうなあ(かく言う私もスーファミからか)という少年が目を輝かせて遊んでいる姿にじーん。ゲーム業界のはしくれとしては、こう…心を打たれるものがありますよね。
***
そんなこんなのサブカル日和。サブカルと言えるかはわからないけど、ブルーマンも見てきたりして。1カ月に1回は何らかの芸術に触れていたい、と、思う今日このころ。ブログも続けないとね。
ICCでは、インターネットというものの脅威とか面白さとかがぎゅっと凝縮していた感じ。「お絵描き掲示板」のよる芸術は、自分の経験とも相まって懐かしさと同時に、当時の「絵」に対する純粋な楽しみを見出すことが出来て、しんみりした。あの頃は、何も考えず、好きなものを描いて掲示板に投稿して、顔も知らない他の人と「絵」を介して交流して。まるで自分が一流アーティストになって、同じ職業の仲間と議論を交わす、みたいな、そんな疑似現実を楽しんでいたなあとか思ったり。今はPixivとかでその疑似現実を体験することが可能だけど、何だかレベルが高すぎて、掲示板時代の気軽さとか「下手でも褒めてもらえる」感じはないような気がする。
あともうひとつ、ICCで印象的だったのは、時計。その名も、「夜の12時をすぎてから今日のことを明日っていうとそれが今日なのか明日なのかわからなくなる」。現実の時間を示す時計と、その現実の時間を「表現している」だけにすぎない画面の中の時計。どちらも同じ役割(時間を表す)を果たしているにも関わらず、実際にはその時計が示す時間は異なっている。前者は現実の時間、後者は過去のどこかの時間。なぜならば、過去の時計は過去のどこかで撮影された、画面の中の時計だから。私の拙い説明では単なる厨二病だな。うーむ。
ICCは初めていったけど、通常展示も物凄く魅力的。真鍋大度さんのMV「少年よ我に帰れ」が素敵過ぎて、2回くらい凝視してしまったり、「無響室」で精神不安定になったり。何だか自分がアニメの中の人間になったみたいに、現実と疑似現実をいったりきたり。こういう世界にどっぷりはまってみたいな。不安定になりそうだけど。
そして3月3日。昨日は「メディア芸術祭」へ。今までやっていること自体は何となく知っていたけど、入場無料であることとか、そもそも国立新美術館というものが六本木にあることとか、正直全然知らなかったレベルに近いので、初参加。何で今回行きたい!って思うようになったかっていうと、まあ「魔法少女まどか☆マギカ」が大賞を取ったという事実があるからなんだけど。
まどマギは例の3話の評判を2chまとめアプリで見て、「何これこんな可愛い感じのキャラクターでほんわかした感じのアニメなのにいきなり登場人物首ちょんぱとかえええええ」みたいな感じになってそれ以来まとめの感想とかニコとかで見てずぶずぶとはまっていったのですが(実はちゃんと全部見たわけではないというにわか)やっぱり凄いなあというか。ステマとか色々ゆわれてるけど、サブカル!って感じのイヌカレー空間魔女と鬱シナリオとそれらに相反するような魔法少女たちの可愛さといじらしさが本当素敵なマッチ加減というか、まあとにかく好きなわけです。メディ芸での展示方法も、イヌカレー絵が巧く合うような感じにしててよかったな。そこで流れてたPVが絶妙だったんだけど、もう1回見たい…。映画はも絶対観に行こう。
そしてそれ以外の展示ですが、他にも良いのが沢山あった。印象に残ったのは、しりあがり寿さんの「あの日からのマンガ」。新聞4コマの底力を見た気分。そして新聞の持ついわれもない「力」も。3月11日以降の実際の新聞紙面と、しりあがりさんの4コマを並列でまとめた展示を目にしたことで、彼が未曾有の大災害の中で、「マンガを通して何を表現すべきか」を悩みながら、それでも描き続けてきたという事実に、本気で心打たれた。新聞4コマも、新聞も、インターネットの波に流されてしまいそうな過去の遺産だけでも、やっぱり私は好きだな。
あとは、名前は忘れてしまったけど、ゲーム画面を横につなげて遊ぶことができるもの。ファミコンからキネクトまで。ファミコンなんて知らないんだろうなあ(かく言う私もスーファミからか)という少年が目を輝かせて遊んでいる姿にじーん。ゲーム業界のはしくれとしては、こう…心を打たれるものがありますよね。
***
そんなこんなのサブカル日和。サブカルと言えるかはわからないけど、ブルーマンも見てきたりして。1カ月に1回は何らかの芸術に触れていたい、と、思う今日このころ。ブログも続けないとね。
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